三浦雄一郎の死去は2017年のいつ? 息子たちもすごい!

三浦雄一郎のさんが死去?2017年のいつ?という噂がありますが本当でしょうか?また息子たちもすごい!らしいですね、今回は、三浦雄一郎の死去は2017年のいつ?息子たちもすごい!について調べてみました。

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三浦雄一郎の経歴は?

世界最高例となる80歳でのエベレスト登頂とう快挙を成し遂げたのがプロスキーヤーであり、登山家の三浦雄一郎さん。一時は死去したのではないかと、情報が錯綜ていましたが、現在もご健在です。年齢が年齢だけに、心配ではありますが、今でもお元気なのは確かなことです。

登山という過酷なチャレンジを続ける姿勢には、脱帽ですね。三浦雄一郎さんは、 皆さんご存知の通り世界的にも有名ですが、これまでの経歴も凄いんです。

まずは、三浦雄一郎さんのプロフィールを紹介しましょう。

本名:三浦雄一郎(みうらゆういちろう)
生年月日:1932年10月12日
出身地:青森県青森市
職業:プロスキーヤー、登山家

出身は、冬は寒さの厳しい雪国、青森の出身です。過酷な登山をできるほどの体力の持ち主ですが、子供時代は病弱のようでした。

幼稚園は体が弱いことから中退しました。小学校4年生から5年生の頃には、結核で肋膜炎を患いました。その為、長期入院が必要となり一年の半分近くは学校に行けないというほどの病弱ぶりだったのです。

父親は、農林省(現・農林水産省)営林局に勤務していました。父親の仕事の関係で、小学校は、なんと5回も転校したほどです。

旧制中学校は、健康問題が理由で入試に失敗。なんと小学生浪人となったのです。
入学後も4回転校を繰り返したほど、子供の頃は苦労したのです。

登山者としての、これまでの実績からすると、ちょっと信じられないですよね

そんな体の弱い子供時代でも、スキーに接したのは小学校2年生の時でした。当時住んでいた弘前市の弘前城公園の坂をスキーで滑ったのがきっかけとなります。

その後一家で仙台市郊外の農場に引っ越します。そして本格的にスキーを始めることになりました。旧制青森中学校在学時には、スキー大会で優勝。青森県立弘前高等学校在学時には、
全日本スキー選手権大会の滑降競技で入賞。青森県高等学校スキー大会で3年連続個人優勝。
など、その才能を発揮します。

大学は、北海道大学獣医学部へ進みます。大学を選んだのは、スキーができるという理由からだったそうです。にしても、大学は医学部ですからね、頭がよくなければ入ることさえできません。

その後大学院進学。アメリカ留学を希望していましたが、肺の病気を患ったことか留学を断念し、母校の北大獣医学部に助手として勤務します。26歳で助手を辞めスキーに挑戦します。

スキーの道に進んだものの、アマチュア資格剥奪という憂き目にあいます。これは、優勝した全日本スキー選手権青森県予選閉会式にて青森県からの派遣人数をめぐりスキー連盟関係者と対立したのが原因です。

アマチュア界から追放された三浦雄一郎さんは、、北アルプスの立山でボッカとして働きながら体を鍛えなおそうとしました。

その後は、プロスキーヤーとしての目覚ましい活躍を現在まで続けています。1960年代始め スキー学校を開設。

1962年、世界プロスキー選手権に参加世界ランク8位

1964年7月 イタリアで開催のキロメーターランセに参加。この大会では日本人として初参加。
時速172.084キロという当時世界新記録を樹立

1970年5月 エベレストのサウスコル8000m地点からの滑降を成功
1985年 南アメリカ大陸最高峰アコンカグアからの滑降を成功。
この時、54歳でした。

これにより世界七大陸最高峰全峰からの滑降を成功させたのです。

2003年5月22日 世界最高峰のエベレストに世界最高年齢となる70歳7か月での登頂に成功。

それと同時に二男の三浦豪太さんとの日本人初となる
親子同時登頂も達成したのです。

エベレストに登ることだけでも凄いのに、親子で達成とは、何とも凄いものです。

2008年5月26日、75歳で2回目のエベレスト登頂に成功。

2013年5月23日、3度目のエベレスト登頂に成功。最高齢のエベレスト登頂者となりました。

この時、既に80歳ですからね。本当に驚異的です。

そしてエベレスト登頂という難しいことを三度も達成しているのですから、登山家としては別格ですね。日々の鍛錬の賜物ではないでしょうか。

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三浦雄一郎のお父さんって?

三浦雄一郎さんも、凄いんですが、父親も凄い方なんです。父親は、敬三さんといいます。

敬三さんは、1904年2月15日に生まれ2006年1月5日 101歳で、この世を去っています。

敬三さんも山岳スキーヤーで、キリマンジャロやアルプスを滑ったりと凄い方なんです。

敬三さんの凄いことは、なんと99歳にしてモンブラン氷河の滑降挑戦を続けたのですから、
三浦雄一郎さんの凄さも父親譲りだということがわかりますね。

父、息子、孫と受け継がれているチャレンジスピリットは、絶えることはありません。

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三浦雄一郎の死去、2017年の原因は?

2017年に三浦雄一郎さんが死去したとの情報が錯綜しました。これは、エベレストで最高齢登頂に挑戦中の登山家が死去したと報じられたことによりますが、三浦雄一郎さんではありませんでした。

亡くなったのは、ネパール人登山家のミン・バハドゥール・シェルチャンさん(享年85歳)という方でした。この誤情報を流した発端は、フジテレビの情報番組「とくダネ!」が三浦雄一郎さんに「故」を表記したことが原因でした。

この直後、MCの小倉智昭さんが「三浦さんに対して大変失礼なスーパーを流してしまいました。申し訳ありません」と謝罪したのです。

なんとも、とんでもないミスをしてしまったものです。これにより、今でも三浦雄一郎さんは、既にお亡くなりになっていると勘違いしている方もいらっしゃるようです。

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【三浦雄一郎の嫁や子どもたち】

三浦雄一郎さんのご家族についても触れてみましょう。

奥さんは、三浦朋子さんと言います。元々、奥さんは北海道大学の学長秘書をしていたそうです。尚且つアルペンスキーの女子選手でもありました。大学時代から交際をスタートさせ、
同棲後に学生時代に結婚しました。

そして三浦雄一郎さんには3人の子供がいます。息子さんが2人と娘さんが1人です。息子さん2人は、どちらもスキーヤーです。三浦雄一郎さんという偉大な父親の背中を見て育ってきた、立派な息子さんです。

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三浦雄一郎の長男 三浦雄大

三浦雄一郎さんの長男は、三浦雄大さんです。

アルベンスキーの競技スキーヤーとして活躍していました。現在はなんと120kgの巨漢ということです。現在は、大手通信会社のKDDIに勤務されており、面白い写真を取ることが趣味なんだとか。

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三浦雄一郎の次男 三浦豪太

三浦雄一郎の次男は三浦豪太さんです。父親と同じく登山家でありプロスキーヤーでもあります。

三浦豪太さんは、リレハンメルオリンピックや長野オリンピックに出場したフリースタイルスキー・モーグルの選手として活躍していました。長野五輪では13位、ワールドカップでは5位という記録を残しています。

またスキーヤーとしての実力もさることながら順天堂大学で医学博士の学位も取得しているんです。スキーヤーでお医者様なの?と思われるかもしれませんが、臨床医としての活動はないようです。

また詳し過ぎる解説者としても有名です。ソチオリンピックや平昌オリンピックで解説をしていたのですが、解説が面白いと話題になりました。

三浦豪太さんは、父親に負けじと凄いんです。アフリカのキリマンジャロをなんと11歳という最年少の若さで登頂。そして2003年には、父親の三浦雄一郎さんとエベレストの親子同時登頂も達成しています。

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三浦雄一郎の長女 三浦恵美里

三浦雄一郎さんの長女の三浦恵美里さんは、通信制の女子高「クラーク記念国際高等学校・横浜青葉キャンパス」の校長であり株式会社ミウラ・ドルフィンズの代表取締役を務めています。

株式会社ミウラ・ドルフィンズは、父三浦雄一郎さんと兄、三浦豪太さんが行うアンチエイジングの低酸素トレーニングを行う会社です。

三浦家の「司令塔」と呼ばれ、家族のビジネスを支える重要人物として活躍しています。

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三浦雄一郎の死去は2017年のいつ? 息子たちもすごい!のまとめ

いかがだったでしょうか?今回は偉大な登山家であり、スキーヤーの三浦雄一郎さんについて調べてみました。ご本人だけでなく、ご家族全員も凄いことに驚きました。

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