沢田研二と田中裕子は離婚してる?なれそめやきっかけは?

70年台絶大な人気を誇った、元タイガースの沢田研二さん、そして名作『おしん』で大ブレイクした田中裕子さん、ご結婚されましたが現在も続いているのか、離婚されているのか、なれそめやきっかけを調べてみました。

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沢田研二さんプロフィール

沢田研二さんの経歴について記載します。
歌手(ジュリーの愛称で有名でした)
生年月日 : 1948年6月25日
出身地  : 鳥取県鳥取市生まれ 後に京都府京都市で育つ

上記が沢田研二さんの概略的なプロフィールです。70年代~80年代初めにかけてソロ活動を中心に大ヒット曲も多くあります。

1982年には、所属していた「ザ・タイガース」を一時的に復活させ「色つきの女でいてくれよ」を発表。年間ベストテンでも19位という好成績をだしました。

また「ザ・タイガース」解散後もソロで「サムライ」(1968年年間ベストテン第4位)「TOKIO」(1978年年間ベストテン第6位),「ダーリング」,「お前にチェックイン」,「勝手にしやがれ」,「ス・ト・リッパー,」等独特な歌唱力で歌いこなす大物歌手で、他にも大ヒット曲が多数あります。

また作曲家としても、山口百恵さんが作詞を、沢田研二さんが作曲を手掛けた、アンルイスさんの「ラ・セゾン」は1982年夏に大ヒット。その年の年間ベストテン28位にランキングするなど、作曲家としても好成績をおさめています。

田中裕子さんのプロフィール


女優
生年月日 : 1955年4月29日(なお、中学2年次からは北海道札幌市に引っ越し)
出身地  : 大阪府池田市
以上が田中裕子さんの簡単な略歴です

彼女は明治大学在学中、1978文学座に入り、大学の卒論も「女優論」を提出、学位を取得しました。ドラマでの活躍は素晴らしく、有名なドラマも「マー姉ちゃん」そして、世界的に有名になった「おしん」の青春期、中年期を演じています。

特におしんは東南アジアの女性を勇気づけ、また「おしん募金」という募金活動も海外で発生したほどです。ただ、沢田研二さんとお付き合いしていることで、週刊誌からバッシングを受けていたのも事実です。

沢田研二さんが「ザ・ベストテン」の本番の際、田中裕子さんが舞台裏から見ていた等、当時、黒柳徹子さんが語っていました。黒柳徹子さんの心の広さでしょう。バッシングを受けている最中の二人を認めてあげて欲しい、そう、黒柳さんは思ったかもしれませんね。ま、そんな話はとにかく、田中裕子さんは物凄い大女優であることは間違いありません。

そんな彼女ですが、1986年から1989年にかけ、アルバムを4枚発表しています。ヒットはしませんでした。理由は宣伝力が低かったこと、当時は有名なら役者でもレコードを発売するという時代風潮だったんです。それに乗っただけでしょう。

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【沢田研二さんの最初の嫁は?】

みなさん、ザ・ピーナッツという双子歌手をご存知でしょうか?その姉の「伊藤エミ」さんと結婚していました。

彼女は愛知県の現在の常滑市出身。その後名古屋市に引っ越し、「名古屋シスターズ」として名古屋で活動していました。そこを当時の渡辺プロの社長が目をつけ、芸能界入りします。

1975年に引退し、その後沢田研二さんと結婚します。子どももいたんですが、二人は別れてしまいます。その慰謝料たるやかなりの金額だったんです。噂では18億だとか。伊藤エミさんにとっては、それほど悲しく悔しい結末だったのでしょう。

【沢田研二さんの離婚理由】

伊藤エミさんとの離婚理由は、沢田研二さんの多忙さだということです。当時は、アイドルは3か月に1枚シングルを切り、最低でも半年に1枚はオリジナルアルバムを作成し、更に歌番組、バラエティー番組、CM、雑誌取材等相当な忙しさでした。

当時は当然携帯電話等もありませんし、パソコンも普及していなかった時代。その中で、仕事仕事に追われる毎日。そして沢田研二さんは脱・アイドル的存在だったので、カメラの前での演出にも非常に凝っていました。

当時、ピンクレディーも活躍していましたが、彼女らのスケジュールは秒刻み。沢田研二さんもそれに近い忙しさでした。しかし伊藤エミさんは引退し、家庭に入り・・・。摩擦が起きるのも致し方ないでしょうね。

それが理由で離婚と言う決断を二人はしたのでしょう。伊藤エミさんは最後まで沢田研二さんを愛し続けていたという話もあります。対し、沢田研二さんの心は田中裕子さんに傾きます。

沢田研二さんが帰る所も、田中裕子さんのマンションとなり、伊藤エミさんとは完全別居という形になります。離婚の際の慰謝料も物凄い金額だったことから、伊藤エミさんが沢田研二さんを失ったことがどれほど悔しく、悲しいことだったか想像はつきません。

1986年8月、沢田研二さんはけじめをつけるかのように、家を出て、全てを捨てて田中裕子さんと本格的お付き合いを始めます。結果として1987年1月7日、伊藤エミさんは離婚届に印鑑を押します。離婚成立です。

ここまで読むと、何だか田中裕子さんが悪者になってしまいがちですが、決してそうではありません。田中裕子さんも沢田研二さんを心から愛し続けたのです。

当時は「田中裕子さんが伊藤エミさんに宣戦布告」なんて記事もありましたが、週刊誌は読めれればそれだけでいい、売れればいいという感覚で記事を書きます。

その記事を読んでもらうためにかなり大胆なタイトルをつけます。あまり、週刊誌の記載は鵜呑みにして、見知らぬ芸能人を責めるより、それぞれの本当の幸せを願ってあげたいと思います。

人間というもの、心変わりもする生き物です。単に沢田研二さんと田中裕子さんを非難するのは間違いだと思いますし、かと言って伊藤エミさんの悔しさが解らない訳でもありません。
残念ながら伊藤エミさんは2012年6月15日にお亡くなりになっています。

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沢田研二さんと田中裕子さんのなれそめ

沢田研二さんと田中裕子さんの馴れ初めは1982年に放映された、寅さんシリーズ「男はつらいよ、華も嵐も寅次郎」での共演がきっかけです。他にも女性との共演があったであろう沢田研二さん。

しかし、男はつらいよシリーズで田中裕子さんと「それ以上」の繋がりが出来たのです。お互い、芸能界の悩みは言わずとも知っている田中裕子さん。一方で引退して家庭に入った伊藤エミさんとでは、その時の芸能界の愚痴や疲れをお互い語り合えたのでしょう。

そして、知らぬ間に恋愛に発展したのでしょうね。 誰が悪い訳でもないと思います。恋愛とはそういうものですから。

沢田研二さんと田中裕子さんの不倫略奪愛の真相

当時の田中裕子さんへのバッシングは本当に激しいものでした。同時に世間も「子どもも妻もいるのに」と沢田研二さんをバッシングするより、田中裕子さんへのバッシングがひどかったのです。当時は「結婚したら女は仕事を辞め家庭に入る」のが美とされ、常識とされていました。

1980年に山口百恵さんが引退されていますが、彼女はその後、決して表舞台には出ませんでした。ラストコンサートで山口百恵さんが歌い終わり、マイクを置いて去っていく姿は女性からしたら「憧れ」で男性からしたら「清楚」に見えたのです。

ただ、山口百恵さんの場合、もう、本当に芸能界には戻りたくなかったのでしょう。紅白などもオファーも完全ブロック。私生活を撮影しようとするカメラマンに追われる毎日。それについに頭にきた山口百恵さんが、ハンドバックをカメラマンに投げつける等、山口百恵さんは自分の私生活を「普通」に戻したかったのでしょう。静かに暮らしたかったのでしょう。

対し、田中裕子さんは芸能生活をしながら沢田研二さんと愛を深めていく。その傍ら、芸能界を去った元奥様の伊藤エミさんは家庭に入って当時の日本人女性の象徴とも言える生活をしている・・・。

田中裕子さんが沢田研二さんを略奪したという言葉は過激すぎますし、女性への差別が当時、もろ残っていたあかしだと思います。田中裕子さんへのバッシング・・・略奪ではなく、純粋に愛を貫いた女性なのです。

沢田研二さんと田中裕子さんに子供は?

いないとされています。二人が子どもがいないと言うなら、それを信じてあげたいです。もし、いても芸能人であり、表舞台に立つ人間が親である子どもの気持ちを考えると、その辺は私たちが踏み込む所ではないのではないでしょうか。私生活くらい、そっとしておいてあげたいですよね。

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沢田研二さんと田中裕子さんの現在は?

沢田研二さん、ちょっとメタボかも?でも、幸せの証かもしれませんね。歌手活動ですが続けておられます。昔のファンへのお礼と感謝でしょうね。そしてあらゆることで若い時代に週刊誌に振り回された沢田研二さん、今、ようやく自分の思う、納得のいく仕事をしているのでしょう。

田中裕子さんも現役で女優活動をしています。あれだけのバッシングを受けながらも芸能界に残っているということは、田中裕子さんの女優としての実力と言えるでしょう。田中さんのコメントでも「芸能界で生きるには誰か支えが必要だった」というニュアンスの言葉を発しています。

お二人とも幸せなご様子。このまま、老夫婦になって時間を共にし、幸せになって欲しいですよね。

沢田研二さんと田中裕子さんのCM共演

2002年、日本エアシステムが沢田研二さんと田中裕子さん起用でCMを作成しています。その第二弾もあります。「結婚記念日割得」というキャッチフレーズであえて二人を起用したのは、「苦難を乗り越えても、今でも幸せな夫婦」と言うのをアピールしたかったからでしょう。しかし、未だにお二人がワンショットで映ると「略奪愛」なんて言われるのは、何だか悲しい気分になります。

沢田研二さんの息子

沢田研二さんの息子は公表されているのは、前妻の伊藤エミさんとの間に授かった息子さんです。彼も、両親が有名人、さらに父親が不倫しという経歴を持って産まれてしまったが故に「巻き込まれた被害者」です。

これは沢田研二さんや田中裕子さんが悪い訳ではなく、過剰に感応したマスコミの餌食になった一人です。「可愛そうな子」などと言いながらも彼のことまで根掘り葉掘り追求した当時のマスコミ。

本当に「可愛そう」だと思うなら、彼の事は伏せてあげるべきです。マスコミというのは本当にいつの時代も「稼げそうなガセネタ」を発信します。障がい者ではないか、実は匿名でデビューしている、音楽関係で働いているといくつも憶測が飛んでいますが、私としては、そっとしてあげるべきだと思います。

彼も感情を持った人間です。マスコミの餌食にこれ以上するのはどうかと思います。いい加減、解放してあげて欲しいです。

沢田研二さんの反原発ソング

沢田研二さんが3年連続で12曲、反原発ソングを作成されました。名前は昔の愛称「ジュリー」で発表されています。憲法9条の件にも触れて、本格的に、更に真面目に取組んでおられます。こういう歌の舞台では、「ジュリ~」なんて声援は本人も不愉快に思うでしょう。

歌手「ジュリー」としてではなく、一人の人間として声をあげたいのです。いい年したおばさんが、何度ジュリーが黄色い声援を挙げるのは遠慮して欲しいと言っても聞く耳を持たない昔のファンの方々。

ジュリー(ここではあえて、沢田研二さんと書かずにジュリーと記載します)が自分が何が出来るか考えて出した企画。きれいごとではない、真剣なことなんだよとジュリーは訴えたいのです。ひと時の同情心ではないでしょう。ジュリーは本気なのです。とにかく、自分に出来る事を精一杯したい。その思いを込めての楽曲や活動。

人として応援したいですよね。

今回は、沢田研二さんと田中裕子さんについて記載しました。

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