山口百恵さんの2018年 現在はキルト作家?現在の画像と自宅写真が流出!

伝説の歌手、山口百恵さん、2018年現在は何をされているのでしょうか?現在はキルト作家として活躍されているとか、現在の画像や自宅写真が流出という話まででています。2018年現在、山口百恵さんはキルト作家をしているのか、現在の画像と自宅写真流出の件について調べてみました。

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1970年代から1980年初めまで、絶対的日本のアイドルであった山口百恵さん。引退後は、一切のテレビ番組に出演されていません。彼女の偉大さは、後の松田聖子さんや中森明菜さんに引き継がれます。テレビが主流であり、歌が社会生活において「生きる楽しみ」であった当時、山口百恵さんがどのように活躍したか、今回はご紹介します。また、彼女に関するエピソードを記載します。

山口百恵さんのプロフィール

山口百恵さんは、1959年1月27日に東京都出身の大物神的存在歌手・役者さんです。本来なら、「アイドルです」と片づけられるのでしょうが、「アイドル」とは言えないほどに日本中を制覇した方です。

歌にドラマに大活躍されていました。今でも書店で「赤いシリーズ」(山口百恵さんと旦那様の三浦友和さん主演の連続ドラマシリーズ)は今でも人気があります。山口百恵さんのお父さん役には、名俳優、宇津井健さんが抜擢されていました。

当時から、山口百恵さんの生い立ちは苦しいものであったことは知られていました。お父様がかなりの女好きでギャンブル等にも手をだし、山口百恵さんが大人気を持つタレントさんになると、山口百恵さんの「お金」目的で事務所に借金をしたんです。

山口百恵さんの著書にも、「父なんかではない」のような憎しみも記載されています。古本屋さんでも購入できると思うので、一度、山口百恵さんの苦労も知っておくのもいいかもしれませんね。

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山口百恵さんの現在はキルトの作家

彼女は「普通の家庭」に憧れていたのでしょう。だからこそ、引退後、幾度ものテレビやCMオファーも引退後は引受けなかったのでしょう。-幸せになりたい-。彼女の夢だったんでしょうね。最近はキルト制作に力を入れ、彼女の作品を発表されています。

2017年の「東京国際キルトフェスティバル」にも作品を出されました。それを見ると、再度「手先が器用なんだな・・・本当に家庭に入って普通の家庭を築きたかったんだな・・・」と実感します。

最近の若い方々はテレビを観ないので山口百恵さん等の芸能界での功績は知られていない悲しい現実もあります。しかし、今の若い方々も、彼女の名前やヒット曲はきっと見聞きしていると思います。それくらい偉大な方でした。

山口百恵さんの現在の写真が・・・

ま、今までも何度もマスコミストーカーとも言うべきか、私生活の写真を週刊誌に撮られています。そしてそれは今でも続いています。引退5年程度は、彼女の姿を撮る為に、マスコミに追い回されて、怒りでハンドバックを記者に振り回したこともありました。しかし、不思議と、世間はそれを責めなかったのです。むしろ、擁護したのです。それくらいに彼女は国民的に愛されていたのです。


当然のように、今でも彼女の顔を世間に何とかだろうと、マスコミは必死にカメラで彼女を追いまわしています。・・・そっとしておいてあげたいな・・・。彼女を知る当時の人間ならそう思うのではないでしょうか。日本の時代を代表する彼女、皮肉なことにそこまで人気があったので、その後の私生活も「対・マスコミ」との戦いが続いています。

今でも、当時の面影を残っています。いつかは彼女も、素敵な「ばあば」になっていくんでしょうね。そして、それを愛する三浦友和さんと過ごしていくのでしょう。今後も彼女の素顔はカメラに収められていくんでしょうね・・・。ちょっと切ないです。

山口百恵のアイドル時代

山口百恵さんのアイドル時代について触れたいと思います。皆さんは「花の中三トリオ」という言葉をご存知でしょうか。これは、山口百恵さん、森昌子さん、桜田淳子さんら、1973年当時、中学三年生だった三人のキャッチコピーです。中三から芸能界と言うと、意まで言えば珍しくありませんが、昔は非常に珍しかったのです。

どうでも良いのですが、1981年9月に、中3で歌手デビューした伊藤つかささん(その前に3年B組金八先生シリーズ第二弾出演)は、デビュー曲、「少女人形」をセーラー服で歌っていました。

ザ・ベストテンでも最高位4位をキープしましたが、伊藤つかささんが生番組に出る事はありませんでした。未成年ということで、夜の時間帯の仕事は法律で禁止されていたためです。前もって収録されたVTRで出演する中3の伊藤つかささんは、特別に見えた時代です。中3でデビューというのは珍しかったのです。

TBS系で木曜夜9時から生放送で放送される「ザ・ベストテン」が開始した当時(1978年1月19日開始のランキング歌番組)は、山口百恵さんはもうすでにデビューしていました。TBS側は、第一回の放送で山口百恵さんは10位内にランキングするだろうと思い込んでいました。

しかし、票を開けると(当時は、リクエストハガキ4:レコード売上3:ラジオリクエスト2:優先リクエスト1の比率でランキングされていた)山口百恵さんはなんと圏外、ランキングしなかったのです。

当時のTBS上層部は、番組担当者に嘘の報告でベストテンに入れろと激怒したそうですが、本当のランキングを世間に広めたいと思っていたベストテン担当の山田しゅうじさんは、頑なに正確なランキングを守ったそうです。ベストテン内にランキングしているだろうと世間も思っていました。

しかし結果は11位でランキング外・・・。そこでファンも頑張ります。彼女の曲のリクエストハガキをだし、次週1978年1月26日には、山口百恵さんの「赤い絆」が第8位にランキング。その後も「赤い絆」は4位→5位→5位とチャートインし、1978年2月23日には「赤い絆」9位、「乙女座宮」7位(初登場)と2曲同時ランキングしました。

1978年年間ベストテンでは「プレイバックpart2」は堂々5位、「絶体絶命」は年間ベストテン第13位、24位に「乙女座宮」と、好成績をおさめます。ちなみに、この1978年という年は、キャンディーズの解散の年でもあります。

今では信じられないほどに音楽が国民生活に浸透していた時代、ザベストテンで、彼女は好成績をおさめています。

1979年には三浦友和さんとの婚約を10月25日の放送でランキングした「しなやかに歌って」で語りました。この、ザ・ベストテンで、一度だけ、スタッフ全員が顔面真っ青になる事件がありました。

この週は山口百恵さんがある曲で、1位だった日・・・。前にでたニューミュージック系のAさん、普段からテレビに出ないAさんですが、その日、ようやく出演してくれたのです。番組もファンも大喜びだったでしょう。

しかし・・・そのAさんが感謝の気持ちを語りすぎ、1位の山口百恵さんが歌を披露できない事態が起こります。スタッフは慌てて、百恵さんに土下座をして誤ると、山口百恵さんは「いいですよ」と静かに言ってくれたそうです。

スタッフはこの日のことは忘れないと番組終了後、語っています。その週は山口百恵さんは歌は披露せず、1位として出場し、インタビューだけで終わらせたのです。

そんな山口百恵さんが最後にランキングしたのは1980年11月20日、第9位「さようならの向こう側」です。ちなみに、この日は、松田聖子さんの3枚目のシングル「風は秋色」が1位になった日。松田聖子さんはこれ以前に「青い珊瑚礁」で1980年8月14日に初登場しています(その後、9月18日に1位獲得)。

そう、1980年は山口百恵さんがテレビから姿を消し、「ポスト山口百恵」として松田聖子さんがデビューした年です。歌のことばかりかいてしまいましたが、山口百恵さんの活躍ぶりはドラマ、CMでも日本中の国民を励ますものだったのです。

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【山口百恵さんの旦那、三浦友和との出会いは?】


出会いは、リアルタイムで見ていた人間なら「なるほど」と思える三浦友和さん。ドラマで何回と恋人役で出演されています。それがきっかけでご結婚されました。三浦友和さん、今はCMやドラマでも活躍中です。当時は、美男美女の結婚として大々的に放送されました。

山口百恵さんは人気絶頂時に結婚と引退


1973年のデビュー以来、1980年まで大人気だった山口百恵さんですが、「ロックンロール・ウィドー」等が大ヒットしているにも関わらず、あっさり引退宣言をします。芸能界でお金持ちになって、母を幸せにしたい。

そう思ってデビューした彼女、最高の幸せを握りしめて、あっさり引退。もう、芸能界には未練はなかったのでしょう。その後の数回のオファーは全て断っているのですから。

しかし、その後、許されない事件が起きてしまいます。山口百恵さんのヌード写真が週刊誌に載ってしまったのです。山口百恵さんは決してヌードを披露していません。しかし、レコードジャケット等でどうしても、ヌードになってもらわなくてはいけないシーンがあったそうです。その時の写真が流出してしまいます。

なお、女性アイドル歌手のジャケット撮影などで、ヌードになるのは致し方ない事(?)だったらしく、その後のあるビッグアイドルもヌードになったことがあると言っています。何だか、男の欲望丸出しみたいな嫌な気分になる現実が、芸能界にはあったのでしょう。

山口百恵さんの自宅に不審者が!

1993年夏、山口百恵さんは元ファンに軽傷を負わされました。国税庁を名乗る男性が山口百恵さんの自宅に来たのです。有名人のおうち、悪質なファンは突き止めて、百恵さんんの「普通の生活」の邪魔をするのです。

しかし、この事件は最も悪質と言えるでしょう。山口百恵さんが扉を開けると、「実はファンだ。中に入れて欲しい」とその男が言いだしたそうです。

芸能人の悲しい勘なのでしょうか・・・不審に思った山口百恵さんが助けを求め、重傷にはならなかったものの、かすり傷を負ったのです。しかも呆れたことに、その男は山口さんの家の寝室で自殺をはかったのです。

近隣住民がすぐに山口さんを助けに来て、その男は死にはいたりませんでしたが、芸能人、本当に気の毒に思います。

実は、この10年前、1983年3月、松田聖子さんも沖縄で初めてのコンサートをしていた際、ステージに上がってきた男に棒で頭部を殴られるという事件も起きています。

その日は、月曜夜8時開始の「ザ・ベストテン」と似た形式の「ザ・トップテン」に「秘密の花園」でランキングしており、コンサート会場から中継で歌ってもらうはずだったのですが、中継が繋がると、松田聖子さんが頭部を棒で殴られ、病院に搬送されたという大事件が同時報道されます。

芸能人の方々、本当にお気の毒に思います。プライベートも仕事も一部の「熱狂的大ファン」に襲われるのですから・・・。

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山口百恵さんの夫、三浦友和は人気俳優

今の若い方々は知らないかもしれませんが、三浦友和さんはイケメン人気俳優として当時から人気がありました。最近はちょっと太めになりましたが、ドラマやCMで活躍されています。
当時は、山口百恵さんにふさわしい、イケメン俳優としても人気があったんです。

山口百恵さんの二人の息子たちの現在とプロフィール


長男 : 三浦祐太郎さん
旦那様の三浦友和さんが、石原軍団だったからでしょうか。石原裕次郎さんの文字をとって祐太郎さんが生まれます。1984年4月30日うまれです。

2002年、中学生当時から仲間とバンド活動をしていたらしく「Peaky SALT」というバンドを組み、ボーカル「ユウ」としてデビューされました。しかし現在はシンガーソングライターとして活躍されています。

デビューは決して華やかなものではなく、その後、メンバー脱退、それぞれの音楽性の違いなどで解散しました。当時はまだ、2世タレントという名目に世間は良い顔をしなかった時代です。

彼は大きな表舞台にたたないのは、2世タレントとして見られるのが嫌だったのかもしれません。あくまで自分の実力を認めて欲しかったのかもしれません。弟さんとの悪い噂もありますが、この辺は、一人の人間として、そっとしておいてあげたいと思います。

二男 : 三浦貴大さん

皮肉なことに二男の「三浦貴大」さん(1985年10月11日生まれ)は大学卒業後、おなじように芸能界にデビューします。あの有名な「Always3丁目の夕陽」が彼のデビュー作品となります。

彼ら兄弟で不仲説や色んな憶測が飛んでいますが、真実は誰にもわかりません。彼らは三浦友和さんでも山口百恵さんでもありません。ひとりひとりの芸能人です。そういう目で見てあげたいので、これ以上の詳細は省略します。

応援する人は応援するだろうし、中には知らない人もいるでしょう。そしてそれは彼らの芸能活動であり、山口百恵さんとは切り離して考えてあげたいと思います。

山口百恵さんの自宅写真


彼女は生まれてすぐに不幸な家族生活を送った女性。自宅写真はこちらになりますが、どこにある等、触れるのは彼女の気持ち、すなわち、「普通の生活を送りたい」という気持ちを優先します。

と、言うか、今の時代、なんでもかんでもわかっちゃいますよね。私は私で山口百恵さんの過去の苦労と活躍、そして現在の幸せを望んでいます。

そう、彼女の芸能生活は「さようならの向こう側」というラストシングルで終わったのです。その後は一般人。それを尊重したいと思います。

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最後に

とにかく、今の時代と格が違うほどに、テレビが流行し、シングルを切り、次々にアイドルがデビューした時代の中、8年間もトップアイドルであり続けた彼女。そして、1980年に芸能界を去った彼女。その偉大さは文章では到底記せるものではありません。小さな子から老人までファンにした山口百恵さん。今後も、「普通の生活」が平穏に守られることを願いながら、これで山口百恵さんについての記載は終わりにしたいと思います。

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